第2章「箒木」(1/3)哲学

どんなのが良いか


箒木(ほうきぎ)


光る源氏。名前だけが仰々しく、打ち消されなさる過失は多いだろうに、それでも、こんな物好きな事々を後世にまで言い伝えて、軽くした名前を流そうかと、内密にされていた隠され事さえも語り伝えるけん、人のもの言いの性悪さだよ。
 けれど、マジいたく世間に配慮し真面目な感じになさっていたくらいで、なよなよと不審なことはなくて、女性泣かせの交野少将ならお笑いなさっていたかしら。




 まだ中将などをなさっていた時は、皇居にだけ控えて用をしなさって、御殿には途切れ途切れにお戻りになる。内緒の不品行かと疑いの声もあったかな、それでも誘惑的で慣れた感じの、その場だけの好きが楽しいなどは良いことじゃない、というご本心であって、稀には我れ勝ちで思い違えてのめり込むことは心の中だけで思いとどめる癖がなあ、不器用であり、それらしくないお振る舞いもなかにはあった。


 長雨に晴れ間のないころ、皇居のお浄めが引き続いてえらく長期滞在なさるのを、御殿では曖昧に不満に思ったけど、あらゆる装備を何もかも新鮮な様相に調整なさりながら、子息の君達はただこの宿直所で宮廷業務をお勤めになる。

「宮腹の中将」皇女の息子は、中でも親しくお付き合いなさって、遊び戯れでも他の人より心安く慣れ親しんで、振る舞っていた。右大臣が気をつかい世話をなさる住まいはこの君もまじ物憂くして、好きが好きな困った人だよ。実家でも自分の方の立派さには引き気味で、君が出入りしなさるのに連れ立ちお話ししつつ、夜も昼も学問でも遊びでも、一緒にしてなかなか遅れを取らず、どこででも周りにいて話しなさるくらいで、自然と畏まっていることもできずに、心の中で思う事もお互い隠さずに仲良くして、評判だったったんだよ。


 ぽつぽつと降られ過ごす、しめやかな宵の雨に、上殿でもまったく人が少なく、宿直所もいつもより静かな感じがして、灯火の近くで手紙などを見なさる。

 手近な書庫「厨子」にある、色とりどりな紙にある文章を引き出して、中将がやたらと見たがる。

「そういうのなら、少しは見せよう。切れ端っぽいのなら」とお許しにならない。

「そのぶっちゃけてむずむずすると、お思いなのこそ見たいけど。普通の大部分のは大したことがないけど、その時々で書き交わしつつ、のも見てましてなあ。お互いにもの足りない折々、待ち顔だろう夕暮れなどのこそ、見所はあるんでしょう」と詰める。

 やむをえず必ずお隠しになるはずのものは、このように大型のお厨子などに置き散らしたままになさるわけがない。深く取って置かれるだろうから、二番街の安心さであるはず。

 片端づつ見ると、こういう色々なものがありましたな、と言って、見当で「それか、あれか」などと尋ねる中には言い当てられたものもあり、もう忘れていることも思い出して疑うのもおかしと思うが、言葉少なに、とこう、ごまかしつつ取って隠しなさっていた。

「そこにこそ多く集めていなさるんだ、少し見たい。ではなあ、この厨子も気持ち良く開くだろ」とおっしゃると「ご覧になる所があるからこそ、難しくありましょう」などと話しなさるのに続けて。


 女性に「これだけ、とも難付けまい」は、難しくもあるかなと。だんだんなあ見なされば分かります。ただ表面だけの感情に走り書きの筆跡、その都度の返答を習得して出した、などだけなら、十分に結構なのも多いと思いますけど、でもほんとに「その方」を見い出す選択で「決して見落とすまい」は超難しいや。自分がそう思っている事ばかりで、お互いに気を使って、他人を貶めるとか、もやもやする事は多い。

 親などが付き添い大事にしていて、行く先が窓の中に籠もるようなら、片角だけを伝え聞いて心を動かすこともあろう。容貌目を引き大らかに出て、若くしてごまかすこともない状況。趣味的な稽古事でも人真似で心を込めることもあるけど、自分から一つ理由を付けてやり始めることもある。

 見る人は劣った部分は隠して話し、それでするはずの部分は繕って学び始めると「それ、そうじゃない」と。何も考えずにどうやって推し量るのか、気持を無にするのだ。本当かとと見守ってゆくが、見劣りせぬようはなくなあ、あるべき。


 と呻いている気色も照れくさそうなので、まったく全部ではないけど、自身思い当たる事があるのか、微笑み打って「その片角もない人はあるのか」とおっしゃる。


 いとそうばかりになろう辺りには誰かはすかされ寄りおります。取る方なく口惜しい類と、優であると思うくらいにまさっているのとは、数こそ等しくおりましょう。

 人が品高く、地位高く生まれてくれば人に養われてよって隠れる事は多く、自然にその雰囲気は絶対的であるはず。

 上中下の、中の品だなあ、ある人の心べつの人の心、各々の発する傾向も見えて、違っている点はそこここに多いはずだ。

 下の刻み、下の位階という世界になると、特に耳は向かないかな。


 と言って全く死角のなさそうな雰囲気であるのにも惹かれて「その品々とはどんな」

 どれを三つの品に置いて分けるべきか。

 元の品が高く生まれながら身は沈み、位階が低くて人望はない。またさらに。

 人が上達部カンダチメなどまで成り上り「我は」顔で家の中を飾り人に劣らないと思っている。

 その境界は、どう分けるべきなのか。


 と尋ねなさるうちに「左馬頭」サマノカミと「藤式部丞」トウシキブノジョウがお浄めに籠ろうと参上した。

「世の好き者」社交界の遊民であり、ものをはっきりと言う彼らを中将が待ち受けて、この品々を分別し、定義し、議論する。お聞き苦しいところ、多かった。


 成り上っても元からそういう筋でないのは、世の人が思うことも、そうは言っても、でも違うよ。また元は尋常でない筋だけど世を知るチャネルが少なく、時勢に流されて印象が薄れてしまうと、気持は気持として現実が足らず悪びた事々が出てくるだろうから、それぞれに判断して、中の世界に置くべきだよ。

「受領」といって他の国の事に関わり経営して、階級が決まっている。それでもまた段階段階があって中の級、中間で奇抜でない、覚えておくべき範疇だよ。

 そのままの最高位「カンダチメ」上達部よりも非参議の四位達で、世の覚えは口惜しくない、元の根差しは卑しくない、そして安らかに境遇を受け入れて振る舞ってる、マジさわやかじゃないか。

 宮殿で、足りない事などを「は?」と眺めるままで手を抜く、ということはなく、眩いまでにそうして勤めている女性などで、実は高貴に生まれてきた例はいくらでもあるはず。宮仕えに立って出て思いがけない幸運が勝手に出て来ることは多かったんじゃ。


 とか言う。


「すべて、裕福さが頼りなのです」と言って笑いなさる。

「他人が言うように、無責任におっしゃる」と中将は不満だ。


 元の品、時世の印象とやり合い、仕方ない辺りの内々の対応、気配遅れたらんはそれ以上言わない、何をしてこう生まれ出たのかと言う意味はない、と思っておくべきだ。やり合って勝れたろうも当然だ、これこそはそうあるべき事だと自覚して、珍しい事だと心も驚かない。何某が及ぶべき程ならねば上の上は打ち控え置いている。それで世に有りと人に知られず寂しくあわれであろう葎の門に思いのほかに労たそうな人が閉じられたようなのがどこまでも珍しくと感じるよ。どうでハタこうなったかと思うより違えることなんか、怪しく心留まることだよ。

 父の年老い、もの難し気に太り過ぎ、兄の顔憎気に、思い遣り異なることのない閨の中でどこまでも思い上がり、儚くし居出ている言動も、理由がなくはないように見えている、片角にでも、どれだけ思いのほかにおかしくないだろうか。

 優れて疵のない方の選びにこそ及ばないにせよ、さる方にて捨てがたいものをは。


 そう言って式部を見やると、我が妹達の宜しい聞こえあるを思っておっしゃるのか、とか理解しているようで、ものも言わない。


「いやあ、上の品と。思うだけで難しそうである世界だ」と君は思うのだろう、白いお着物のなよやかなるに、直衣だけをしどけなく着なしなさって紐なども打ち捨てて、添い臥しなさっているお火影。マジ目を惹く。女として拝見させていただきたい。このおためには上の上を選び出してもなお足りることがないようにお見受けする。


 様々な人のことを語り合う。


 世間一般の評価で見るなら問題なくても、我が人と頼み行くべきを選ぶと、多くある中にもなあ、思い決められんということでしょう。男で朝廷にお仕えして実質のある世の固めとなるべきも、本物の器となるべき人を選び出すなら、難しいでしょう。けれど、畏れ多いといっても一人二人が世の中をつかさどるようにするべきでなければ、上は下に助けられ下は上に靡いて、結局は大きなものに譲るんでしょう。

 狭い家の中の主人とすべき人一人に思いを巡らすと、足らわで悪しかるはずの大事などは方々に多いのだ。とあればかかり、おうさきるさにて、なのめにさてもあったはずの人が少ないのを、好き好きしい心のすさびとして、人の有様を数多く見合わせようという好みではないが、一重に思い定めるべき依る辺とするばかりに、同じくは、我が力入りをやり直しひき繕うべき所はなく、心に叶うようにもやと、選びそめている人の定まり難さなのだな。

 必ずしも我が思うところに叶わなくても、見初めていた約束だけを捨てがたく思い留める人は、もの真面目やかであると見え、さて、保たれる女性のためにも心憎く推し量られるのだ。しかし、何か世の有様を見なさり集めるままに、心に及ばずまじ惹かれる事もないか。 

 君達の上なきお選びには、ましてどのくらいの人が類いなさろうか。


 容貌は汚げなく若やかであるタイプで、おのがじしは塵も付けまいと身を振る舞い、文を書くがおおらかに言葉を選び、墨つきを仄かに心もとなく思わせながら、またさやかにも見たいがなと術なく待たせ、僅かな声を聞くばかり言い寄っても、息は下に引き入れ、言葉少なであるが超良く隠しもつのであった。なよびかに女らしいと見ればあまり情けに引き篭められて、とりなせば仇めく。これを始めの難としよう。

 事の中に、なのめであるはずがない人の後見の方は、もののあわれを知り過ごし、儚い次いでの情けあり。おかしさに進んでゆく方がなくても良いだろうと見えていると、また、まめまめしい筋を立てて耳を挟みがちにびそうなきの家刀自の、一重に打ち解けている後見ばかりをして、朝夕の出入りにつけても、公私の人の佇まい、良い悪い事の目にも耳にも留まる有様を、疎い人にわざと打ちまねぶんだとは、近くで見るだろう人が聞き分け思い知るべくあろうに、語りも合わせばやと打ちも笑まれ、涙も差しぐみ、もしはあやなきおおやけ腹立たしく、心一つに思い余る事など多かるを、何にかは聞かせむと思えば、打ち背かれて、人知れぬ思いが出て笑いもせられ、あわれ、とも打ち一人ごたるるに、何事そ、などあわつかに差し仰ぎたらむは、どんなに口惜しかろう。

 ただひたすらに子めいて柔らかならむ人を、とかく引き繕ってはなんで見ないんだ。心もとなくても直し所がある気がするだろ。じっさい差し向かって見るときは、さても労たい方に罪を許し見るべきなのに、立ち離れてさるべき事をも言い遣り折節にし出すわざの仇事にも真目事にも我が心と思えることがなく、深い到りがなかろうのは、まじ口惜しく頼もし気のない咎やなお苦しいんじゃあ。いつもは少しそばそばしく心づきのない人の、折節につけて居出ばえするようもあるかしら。


 などと、隈なき物言いも決めかねてひどく嘆きを打つ。


 今はただ品にも拠るまい、形などさらにも言うまい。まじ口惜しく捩けがましい覚えさえないなら、ただ一筋にもの真面目やかで静かな心が向かってゆくだろう拠る辺をぞ、遂の頼み所に思い置くべくはありける。あまり故よし、心馳せ打ち添えたらむをば喜びに思い、少し遅れたらむをもあなガチに求め加えまい。後ろ安くのどけき所さえ強くあれば、上辺の情けはおのずから付けて持つべきわざをや。

 艶にもの恥じて、恨み言うべきことをも見知らぬように忍んで、上はつれなく操づくり、心一つに思い余る時は、言わん方なくすごき言の葉、あわれなる歌を詠み置き、忍ばるべき形見を留めて、深い山里、世を離れた海辺などに這い隠れぬるおりかし。

 子供でおりました時、女官などが物語を読むのを聞いてまじあわれで悲しいことだなと涙をさえなあ、落としておりましたよ。今思うには超軽々しく殊更びたことだよ。志の深かろう男をおいて、見る目の前に辛いことがあっても、人の心を見知らないように逃げ隠れて人を惑わし心を見ようとするほど、長い世の物思いになる。まじむなしいことだよ。

 心が深いなあ、などと褒め立てられてあわれが進んでゆけばやがて尼になるのかな。思い立った頃はまじ心が澄んでるようで、世に返り見るべきも思いはしない。ああ、ああ悲しい、こうふと思うようになったよ、というように相知る人が訪ねて来て、ひたすらに憂いとも思い離れない男が聞きつけて涙を落とせば、使う人や古御達などが、君の御心はあわれであったものをあたら御身を、などと言う。みずから額髪を掻き探ってあえなく心細ければ、うち潜むのかしら。忍んでも涙が溢れそめるので、折々ごとに念じられず、悔しいことが多いだろうに、仏もなかなか心が汚いと見なさっているだろう。濁りに染まる境遇よりも、なま浮かびでは却って悪い道にも漂うだろうとと思うんだ。絶えない宿世は浅くなく、尼にもしないで尋ね取りたらんも、やがて相添って、とあらむ折もかからん刻みをも見過ごしたらん中こそ契りは深く憐れならめ、我も人も後ろめたく心おかれじや。

 また、なのめに移ろう傾向のある人を恨んで気色ばみ背こう、さて、おこがましいのだなん。心は移ろうことあっても、見初めた心ざしをいとおしく思えば、さる方のよすがに思ってもありぬべきに、左様ならむたじろぎに絶えぬべき業なり。

 全て、あらゆることをなだらかに、怨ずべきことをば見知っているように仄めかし、恨むべくあらん節をも憎からず霞めておけば、それにしたがってあわれも深くなってゆくはず。多くは我が心も見る人からおさまりもするだろう。あまりむげにうちゆるえ見放ちたるも、心安く労たいようだけど、おのずから軽い方にぞ感じておりますかな。繋がぬ舟が浮いてるためしもげに綾なし。そうではありませんか。


 と言うと中将がうなずく。


 さしあたっておかしともあわれとも心に入らない人で、頼もし気のない疑いがあろうこそ大事であるべきだが、我が心に誤ちがなくて見過ごせば、差し直してもなんで見ないんだと思っていたが、それさしもないぞ。ともかくも、違う節があるだろに、のどやかに見偲ぼうより他にまさるものはあるまいということだったなあ。

 と言って、我が妹の姫君はこの定めにかないなさっていると思うと、君の打ちねぶって言葉をまぜなさらないのを、寂々しく心やましいと思う。馬の頭は、もの定めの博士になってひんひん言ってたよ。中将はこの論理を聞き尽くそうと、気合を入れて向き合っていなさった。


 全てのことに寄せて考えてください。


 木の道の匠が全てのものを心にまかせて作り出すのも、臨時のもて遊びもののそのものと跡も定まらないのは、そばつきされば見たるも、げにこうもするつもりであったのだと、時に応じて様子を変えて今っぽいのに目移りしておかしいもある。大事として、まことに麗しい人の調度の飾りとする、定まったようにあるものを難なくしだすことなん、なお本当のものの上手は、様子を異に見え分かれおります。

 また絵所に上手は多いけど、墨書きに選ばれて、つぎつぎにさらに劣り優るけじめうとしも見え分かれず。かかれど、人の見及ばぬ蓬莱の山、荒海の怒れる魚の姿、唐国の激しい獣の姿、目に見えぬ鬼の顔などのおどろおどろしく作ってあるものは、心にまかせてひときわ目を驚かせて、実体には似ていないのだろうがさてありぬべし。世の常の山の佇まい、水の流れ、目に近い人の家居ありさま、げにと見え、懐かしく柔らいでいる形などを静かに描き混ぜて、すくよからぬ山の景色、木深く世離れて畳みなし、け近い籬の内をば、その心しらいおきてなどをなん、上手はいち勢いことに、悪ろ者は及ばない所が多くあるんだな。

 手を書いたのでも、深いことはなくて、ここかしこの点長に走り書いてそこはかとなく気色ばんでいるのは、打ち見るに角々しく気色立っているが、さらに本当の筋を細やかに書いたものは、うわべの筆は消えて見えても、もう一度取り並べて見ればなお真実になあ、近付いている。

 儚いことさえこうこそおりましょう。まして人の心が時によっては気色ばむような、見る目の情けなどは頼めないと思いまして得ております。そのはじめの事を、好き好きしくても申しあげましょう。


 と言って近くに寄ると、君も目を覚ましなさる。中将はしみじみ信じて頬杖をついて向かっていなさった。法師が世の道理を説いて聞かせるときの気持がするのも、あるいはおかしかったが、こんな次には各々の睦言も、隠し留められずにいた。

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