手習 (抜粋)あれはなんだ

  先に僧都が渡った。えらく荒れておっかないところだなと思った「僧たち、経を読んで」などと言う。この初瀬に付き添っていた高僧と同じようにしている者が、何事があるのか、つきづきしいほどの下級法師に火を灯させて人の近づかない奥のほうに行った。森かと思える木の下をうっとうしい場所やと見入っていると、白いものが広がっているのが見えたのだ。
「あれはなんぞ」と立ち止まって火を明るくして見ると、何かがいる姿である「狐が化けてるんだ、このやろ、見破ってやる」と一人がもう少し歩み寄り、もう一人は「あやよや、よくないものなんだよ」と言ってこの手のものを追い払う印をつくりながらそれでもまだ見守る。頭髪があるので太っている気がするが、この火を灯している僧は遠慮もなく奥のない様子で近寄ってそれを見ると、髪は長くつやつやとして、大きな木が極めて荒々しいところに寄り添って激しく泣く。

「珍しいこともありますな、僧都の坊様にご覧にさせてさしあげねば」と言うと「現に、あやしいことです」と一人が行ってこんなことなん、と話す「狐が人に变化するとは昔から聞くが、まだ見んものだよ」と言ってわざわざ下りてきた。その渡ろうとすることによって、下衆ども皆はかばかしきは御厨子所などのあるべかしき事々をこんな渡りには急ぐものだったので、居静まりなどしてるところに四五人だけでそこにあるものを見るが、変わったこともない。

 あやしいので時間が経っても見ている。もう夜も明け切ろうとしている、人か何か確かめてみよう、と心の中でそのための真言を詠み印をつくって試してみると、そうかと思ったのか「これは人だよ、しかも非常の奇怪なものではない。近寄って聞け、亡くなった人ではないだろうから。それか死んでいた人を捨てたのが生き返ったのか」と言う「何のどの人をこの院の中に捨てておいたのか。たとえ本当に人であっても狐や木霊みたいなものが騙して持ってきたにちがいない、と気の毒ではないか。穢れのある場所なんだから」と言ってさっきの宿守の男を呼ぶ。山彦が答えるのもじつに恐ろしい。あやしい事態に額を押し上げて出てきた。

「ここには若い女性など住んでおられるか、こんなことがあるんだ」と言って見せると「狐の仕業なのです。この木の下でなん、時々あやしい業なんかしとります。一昨年の秋もここにおります人の子で二つくらいでありましたのを取ってまって来たりしかど、見て驚かずおりまして」「さて、そのお子さんは死にやしにし?」と言うと「生きとります。狐はそれこそ人を驚かすけど、なんでもないやつ」と言う様子がじつに慣れている。この深夜の参りものの所に心を寄せてるなるべし。

 僧都「それじゃそういうもののしたるわざか、まだよく見て」とこの怖がらん法師を寄せたると「鬼か神か狐か木霊か。これだけの天下の験者がおられますからには隠れさせてはいただけない、名乗りなされ名乗りなされ」と着物を取って引くと、顔を引き入れていよいよ泣く。「いで、あな、さがなの木霊の鬼や、まさに隠れなんや」と言いつつ顔を見んとするに「昔あったう目も鼻もなかったう女鬼であらんや」と、むくつけきを頼もしういかきさまを人に見せよと思って衣を引き脱がそうとすると、うっ伏して声を立てて泣く。「何であれこうあやしいことはふつう世にないぞ」と見届けよと思っていると「雨いとう降りんべし、かくて置いたらば死に果てはべりんべし、垣の下にこそ出さめ」と言ふ。

 僧都は「ほんとの人の形だよ、その命絶えるを見て見て捨てること、マジひどいことだよ。池に泳ぐ魚、山に鳴く鹿をだに、人に捕えられて死なんとするを見て助けざらんは、マジ悲しくあるべし。人の命は久しくあるまじきものだけど、残りの命一二日をも惜しまずはあるわけない。鬼にも神にも領ぜられ、人に逐はれ人に謀りごたれても、これ横様の死にをすべきものにこそあんめれ?仏のかならず救ひたまふべき際なり。まだ試しに、しばし湯を飲ませなどして助け試そう。つひに死なば言ふ限りにあらず」

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